“LANDLOCKED MINDSET“——「海の記憶」と「陸の思考」

池ノ上 真一

一般社団法人海洋文化創造フォーラム

理事

2025.06.30

1.ある日の会話から

「最近、海洋文化に関する社会活動を始めたんですよ。」
北海道にある国の役所に勤める旧知の職員に、私は何気なく近況を報告した。きっと「大切な取り組みですね」と共感や期待の言葉が返ってくるものと、私は思っていた。ところが、彼は首を傾げてこう言ったのだ。

「日本に海洋文化ってあるの?」

その瞬間、私は言葉を失った。まさか、その問いが返ってくるとは夢にも思わなかったからだ。これは単なる誤解ではない。日本の「海との関係性」が、どれほど見えづらくなってしまったかを象徴する一言であった。

2.「海洋文化」という言葉の壁

昨年度、私は有志とともに「日本海洋文化総合研究所」を立ち上げた。海洋文化を軸に学術・社会の架け橋となることを目指した取り組みである。学界からも共鳴の声が上がり、新たな研究グループが動き出した。

ところが、この動きの初手で私たちはつまずくことになる。意外なことに、「海洋文化とは何か?」という問いが、まず立ちはだかったのだ。
「海も文化も知っている。でも、海洋文化という言葉は初めて聞いた」と、新たに加わったメンバーが語った。灯台の無人化や、海辺の民話が語られなくなることに問題意識を共有する以前に、「海洋文化」という概念自体が、そもそも認知されていないのだ。

3.陸に閉ざされた思考と海を忘れた社会

私はこの状況を、“LANDLOCKED MINDSET(陸域志向)”の象徴的な出来事だと捉えている。これは、現代の日本社会全体に染み込んだ思考の傾向ではないか。
海に囲まれたこの島国で、なぜ人々は海を忘れるのか。海に生きる者たちの知恵や文化が、なぜ現代社会には受け止められてこなかったのか。こうした問いは、単に学術的な興味ではなく、今後の日本で人々がいかに生きるべきかという問題にも通じている。

4.私と海:海に導かれ、海に育まれ

私は堺という港町に生まれ育った。中世、自由都市として栄えた堺の歴史は、私にとって「海と地域」のあり方を考える原点である。大学時代はスキューバダイビングに熱中し、ほとんどの時間と資金を海に注いだ。そのせいで留年もしたが、後悔はない。
大学院生となってからは、鳴き砂の浜や沖縄・竹富島をフィールドに、日本各地の海辺の暮らしと地域の物語に触れ続けてきた。海に生きる人びとの物語には、都市では得られない時間の感覚と死生観が息づいていた。
海は、常に命と隣り合わせである。その厄災の中にあっても、日本人は「無常」や「祈り」の感性を育んできた。海洋文化とは、こうした心の在りよう、自然への向き合い方の総体でもある。

5.海の仕事と地域空間

海の仕事は、漁業だけではない。交易、造船、浜の管理、航海の知、祭礼、語り継がれる伝承、さらには観光や教育など——あらゆる海の営みがそこにはある。
海洋文化とは、単なる海辺の暮らしではなく、「海という不確実性」を前提に、人びとがどう地域空間や社会を構想してきたかの痕跡でもある。海からもたらされる恵みとリスクの間で、人は“フェア”な機会と空間をつくろうとしてきた。
水産庁が提唱する「海業(うみぎょう)」の概念も、そうした意識の現れの一つである。海にかかわる多様な仕事を育てることで、地域社会に持続性と誇りを取り戻そうという試みは、まさに「文化の再編成」に他ならない。

6.結びに代えて:海洋文化は“未来”を語る言葉

私は信じている。海洋文化は、日本文化の根幹であると。そしてそれは過去の遺産ではなく、これからの社会を組み立てるための視座であると。
もし誰かが「海洋文化って何ですか?」と再び問うならば、私はためらわずに答えたい。

「それは、あなたが海とどう生きるかを考えるための言葉です」と。

池ノ上 真一

一般社団法人海洋文化創造フォーラム

理事